中世城館

 1.梶山城跡

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梶山城跡全景(南側上空から撮影)

・種別:史跡

・所在地:三股町大字長田字城内 梶山地区

  梶山城跡は、別名小鷹城(雄鷹城)とも呼ばれ、築城された時期は南北朝時代で、築城者は樺山氏といわれていますが、伝承の域を出ません。いわゆる「庄内十二外城」の一つで、慶長4年(1599)に起こった庄内の乱のときに伊集院氏によって整備された姿が現在に伝わっていると評価されています。

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小鷹城跡の図(「庄内地理志」巻99より)
都城島津邸所蔵(平成19年6月15日掲載許可)

 2.勝岡城跡

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勝岡城跡遠景(南から)

・種別:史跡

・所在地:三股町大字蓼池字牛ヶ廻 勝岡地区

  勝岡城跡は別名豊鷹丸城とも呼ばれ、築城された時期は南北朝時代といわれていますが、史料不足で不明な点が多い山城です。梶山城と同じく「庄内十二外城」の一つで、本丸跡付近の遺構の保存状態は良好です。

 3.樺山城跡

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樺山城趾記念碑

・種別:史跡

・所在地:三股町大字樺山 上米公園

  樺山城跡は、春には桜まつりでにぎわう上米公園となっています。記念碑は公園東部の丘陵上にあり、記念碑付近には山城の遺構が残っています。築城時期は伝承では1352年(北朝:文和元年/南朝:正平7年)で、築城者は樺山氏初代資久とされています。これらは家譜類に見られるもので、伝承の域を出ません。一方、一次史料(当時発給された文書)における、樺山城の初出は、永和3年(1377)と推定される今川満範から祢寝久清に出された書状(今川満範書状)です。伝承と年代的にも近く、樺山地域を研究する好材料の一つとなっています。ちなみに、「今川満範書状」は、『鹿児島県史料 旧記雑録拾遺 家わけ1』の「禰寝氏正統世録系譜 巻之九下」に収載されています(史料№182)。

 4.北殿城跡

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北殿城跡・地頭屋敷絵図(「庄内地理志」巻99より)
都城島津邸所蔵(平成19年6月15日掲載許可)

・種別:史跡

・所在地:三股町大字長田字栗山 梶山地区

  北殿城跡は、『庄内地理志』巻99で伝わる以上のことは不明な点が多く、山城というより居館に近い規模のものです。地元で伝承されてきた城跡のようで、『庄内地理志』の編者は「北殿=島津久照」という推測を立てています。島津久照は総州家2代の島津伊久の三男で、奥州家2代島津元久の養子となった人物です。島津氏は南北朝時代に一時的に、総州家(上総介、薩摩守護職)と奥州家(陸奥守、大隅守護職)に分裂していました。

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