建築・土木構造物
1.旧家・邸宅
小倉邸
◯概略
小倉邸は、地権者の方々のご理解と、地元の「地域活性化団体がんばっど山王原」の尽力により良好な保存状態にあります。
明確な建築時期は不明ですが、母屋部分は明治後期から大正にかけて建築されたようで、昭和元年に「つぎの間(上段写真)」が増築されました。
明治初期に、都城地頭の三島通庸(みちつね)は山王原に新たな麓集落を形成しますが、その際に、小倉家は勝岡郷から移住してきたようです。
小倉家は、江戸時代後期に都城島津家が編さんした「庄内地理志」巻38に、勝岡郷の横目(よこめ)小倉権之進とあり、その一族と思われます。
横目は、郷の三役の一つで、検察や訴訟といった司法にたずさわる役目を果たしていました。
小倉邸のVR
こちらをクリックすると、小倉邸のVRを閲覧できます。外部リンクになります。パソコンやスマートフォンの設定環境により、起動に時間がかかるかもしれませんが、家の内部までご覧になれます。
2.赤煉瓦蔵・石蔵
山王原地区の赤煉瓦蔵

山王原地区の赤煉瓦蔵(あかれんがくら)は、つくられた焼酎を保存する蔵でした。レンガとレンガの間は、覆輪目地(ふくりんめじ)という特殊な技法が用いられています。これは、レンガの目地を少し盛り上げて、かまぼこ状に仕上げたもので、装飾効果だけでなく、接着を強め、風雨に耐える技法とされています。
長田地区の石蔵
蓼池地区の石蔵①
・建設年代:大正8年(1919)
蓼池地区の石蔵②
・建設年代:大正12年(1923)
3.石造橋
梶山橋
◯概略
梶山橋は、橋の長さ31.6m、幅3.2mで、梶山地区と中野地区を結ぶ石橋として昭和16年(1941)11月に建設されました。大小二連のアーチ橋で、水面に映るその姿から通称「めがね橋」とも呼ばれます。『日向地誌』によれば、石造橋が架設される前は板橋で「以屋ヶ淵板橋」という名称がみえます。
轟木橋
◯概略
轟木橋は、橋の長さ28.35m、幅3.4mです。轟木橋は、昭和16年(1941)頃、台風によって旧石橋が崩壊したため、昭和18年(1943)3月に全面改築されました。一連のアーチ橋ですので、別名「太鼓橋」とも言います。
4.自然・景観
長田峡
◯概略
長田峡は、大八重乱レ淵から梶山の矢ケ淵まで10kmにも及ぶ長い峡谷です。峡谷の壁面は、写真のように入戸火砕流堆積物(溶結凝灰岩)が露出しており、その状態を観察することができます。今から約3万年前に起こった姶良カルデラの噴火によって噴出した姶良Tnテフラ(AT)の主体が入戸火砕流堆積物であり、このテフラが南九州各地にシラス台地を形成しました。姶良カルデラは鹿児島湾北部にある火山活動によってできた大きな窪地で、テフラとは溶岩を除いた火山噴出物全般をさし、広義には火山灰のことです。
