故人を偲ぶ

今年になって本町のまちづくり、文化面やスポーツ面で大きな功績を残した三人の人物が旅立ちました。第13代町長福永昌徳氏(1期4年~ふるさと祭り発案者)、町文化協会会長田中正吉氏(会長歴14年)、町体育協会会長蓬原正嗣氏(会長歴19年)。各氏の告別式には、これまでの業績や活動が示すとおり各方面から多くの方々が参列されました。そのような中、蓬原氏の葬儀では、弔辞を述べる機会がありましたので故人を偲んで掲載させて頂きます。
 
謹んで弔辞を述べさせていただきます。
正嗣さん、長く辛い闘病生活お疲れ様でした。先週会った時、こんなに早く逝ってしまわれるとは想像すら出来ませんでした。町体育協会会長としての最後の仕事となった「町中央テニスコート増設オープン記念行事」には、喜んで駆けつけてくださいました。有り難うございました。ご冥福を心からお祈りいたします。
 
20数年前、貴方の帰郷を待っていたかのように、町では、三股町体育協会会長の要職をお願いしました。その後、貴方は「アスリートタウン三股の創造」をスローガンに掲げ、本町スポーツ界の意識改革に鋭意取り組んでこられました。当時は、アスリートタウンの言葉は、まだ馴染みがなく違和感を持った方も多かったと思いますが、今では当然のごとく広く使われています。貴方は私たちに「目標は高く、夢は大きく」と志を高く掲げて進めと常におっしゃっていました。三股町がアスリートタウンとして飛躍し発展していくことが、帰郷してからの貴方の夢、目標ではなかったかと思います。スポーツタウンではなく、アスリートタウンの言葉に、貴方が目指す町づくりへの熱い思い、高い志を感じずにはおられません。
 
さて、蓬原正嗣さんは、ご案内の通り、かつて日本の長距離界で活躍し、メキシコオリンピックマラソンの候補としてノミネートされた逸材でもありました。世界を目標にする人物がこの三股町にいたという事実が、井の中の蛙であった私にとって衝撃でした。また、お会いするたびに感じる志の高さが魅力的でした。いつかこの様な人物と仕事ができれば素晴らしいと思っておりました。この思いから私の後援会の会長を伏してお願いし引き受けていただいたところです。町スポーツ界のリーダーとして、また保護司など多くの役職を持つ傍ら、9年間にわたり後援会支え、指導して頂きました。
 
この間、アスリートタウン三股の創造を目指して、志を共にしながらハード面、ソフト面にチャレンジしてきました。中でも「みまたん霧島パノラママラソン」「宮崎県市町村対抗駅伝競争大会」や「南九州中学校駅伝競走大会」にかける貴方の情熱は、ひと際強かったように感じました。韋駄天である貴方にとって、「走る」ことは、すべてのスポーツの基本であり、アスリートタウン創りの一丁目一番地だとの信念からだったと思います。その思いに応えるように多くの皆さんや事業所の方々からお力添えを頂き、大会は盛大かつ成功裏に歩みを進めているところであります。
 
貴方がよく言われる「若人の力」「熟年の力」「健康の力」でこの町をさらに元気にし、あらゆる面で「志の高い人材の育成」に努力したいと思います。来年は東京オリンピックの年です。2026年は宮崎国体が開催されます。本町の旭ヶ丘運動公園陸上競技場も全天候型へ改良されます。これからという時のお別れは誠に残念ですが、これからも「アスリートタウン三股」の創造を高く掲げ邁進することをお誓い申し上げ弔辞と致します。蓬原正嗣さん、有難うございました。お疲れ様でした。

令和元年5月28日


 三人とも傘寿(80歳)の齢を超えていましたが、生涯現役・社会還元を貫かれた人生でした。先輩達をお手本に社会に貢献できるよう微力ながら精進して参りたいと思います。                         

令和元年5月31日

三股町長 木佐貫辰生

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